Fu-Ko-Q Present

arataxia〜風の紅き丘の上〜

private 2.14-01

「遠坂。来週、14日は衛宮と何か約束してたりするわけ?」
「ぶ……っ!」

 それは晴天の霹靂というか、全く思い付きもしなかった質問だった。
 口に含んでいたお茶を吐き出すことだけは辛うじて耐え、目の前でニヤニヤ笑うクラスメイトに視線だけで訴えてみる。

「と。そんな怖い顔してると、優等生な遠坂さんの印象台無しになるわよ」
「───っくん」

 口の中に残っていたお茶を飲み干す。
 落ち着け私。このくらいのことで動揺してたら負けよ。

「美綴さん、憶測で人を驚かせるのはやめてもらえないかしら?」
「そう構えるなって。ただの興味だよ。仲の良い友人二人が付き合ってたら、気になるもんでしょ。普通」

 目の前の友人───美綴綾子は相変わらずニヤニヤしたまま、悪気などこれっぽっちもありませんといった口調で応える。
 こいつがこういう顔をしている時は、私をからかいたいだけなのだ。士郎との仲が学校中の公認になっている今、これ以上こいつとの会話を続けることは、私にとってデメリットでしかない。その証拠に辺りに気を配れば、こちらの会話に耳をダンボにしてる生徒がチラホラ。
 冗談じゃない。これ以上あること無いこと噂にされてたまるもんですか。

「そう。では、友人としてそっとしておいて欲しいのだけど」
「お。やっぱり彼氏持ちは違うね〜。バレンタインデーを前にしてその余裕とは」
「バレンタインデーって……。そんな商業戦略的なイベントに易々と乗るほど私は暇じゃないわよ。留学準備の方も何かとやることは多いし、何より受験真っ最中の方がいるこの教室でそんな浮ついた話をするなんて、思いやりに欠けると思うけど?」

 聞き耳を立てていた数人が凍り付く。
 入試期間に入り自主登校になった学園だが、私の様に既に進路が決まった者や、学校で勉強する者、その他相談事など用事がある生徒がそこそこ登校している。
 私のクラスでも半数が出席しており、ほとんど自習のような授業や、卒業前の雑用に精を出していた。
 凍り付いたのは、たぶん進路が確定していない生徒なんだろう。

「ふぅ〜ん。……でも、アンタがそう思ってても衛宮の方はどうなのかな?」
「?」
「アイツも男だからねぇ。もしかしたら、遠坂からチョコレートを貰えるの、楽しみにしてるかもしれないじゃない」
「…………」

 正直考えてもみなかった。
 確かに、毎年バレンタインデーに於ける男子諸君の挙動不審さといったら無い。
 貰えた個数を自分のステータスとして考える者もいるようだが、ほとんどの男子は意中の女子から貰えるかどうかに、その神経の全てを注いでいるように思えた。
 去年は聖杯戦争中で、正直そんな世間一般のイベントに付き合ってる暇なんて無かったけど……士郎は、私からチョコレート欲しいのかな────

「アンタがそんな幸せそうな顔するなんてね」
「は!?」
「勝負に負けた時は本気で悔しかったけど、遠坂のそんな顔が見れるなら結果オーライだったかなって思ってさ」
「な……っ!」

 考え込んでいたところに油断した。
 綾子の嬉しそうな、でも完全にこちらをからかっているような顔が私を見つめている。
 それだけでも恥ずかしさでこそばゆいってのに、女の私相手に歯の浮くような台詞吐かないで欲しいわ…!

「……美綴さんの言いたいことは良く判ったわ。でも、これは私たちの問題なので放っておいて下さい」
「衛宮がどんな反応したか、ちゃんと報告しろよー」
「しません」

 怒鳴りつけたい気持ちを抑え、居心地の悪くなった教室を後にすることにする。
 背中に注がれている視線はいつも通り受け流し、綾子にはいつか借りを返すことにして……でも私の脳裏には、一週間後私からのチョコレートを受け取って、照れながらも嬉しそうに微笑む士郎の笑顔が浮かんでしまっていた。


†       †       †



 板チョコを刻むのは思いの外重労働だった。
 目の前では、銀色のボウルの中で原型を失い始めたチョコレートと生クリームが混ざり合っていく。キッチンには甘い香りが充満し、それだけでお腹がいっぱいになってしまいそうだ。
 結論から言ってしまえば、私は綾子の口車に乗せられているんだと思う。大切な時間を削って誰かのために甘いお菓子を作るなんて心の贅肉以外の何ものでもない。
 ただ、今は時計塔へ行く準備の方が大切だから仕方ないとしても、普段士郎に彼女らしいことなんてほとんど出来ていないことも確かで。
 沸騰直前まで熱した生クリームがチョコレートを溶かし、混ざり合っていく。
 チョコレート菓子なんて、正直作ったことは無い。渡す相手もいたことが無いし、一人で食べるのにわざわざチョコレートを溶かして別の形に加工してなんて手間を掛けるのもばかばかしいとさえ思っていた。

「…………ふぅ」

 最初の板チョコを刻むのに手を抜いてしまったせいで、チョコレートの溶け具合があまり良くない。
 初歩的だと言われるトリュフを選んで作り始めたのものの、要領を掴めず順調とは言えない状況だ。

「アイツなら、物凄く上手に作りそうよね」

 一年前、ほんの一ヶ月にも満たない期間に起こった出来事が自然と蘇る。
 誰よりも理想を追い、そして誰よりも自分を呪っていた赤い弓兵───私が出会った、もう一人の士郎。彼との別れからもうすぐ一年経とうとしていた。
 それはつまり、士郎と“そう”なってから一年経つということで………

「な、なにらしくないこと考えてるのよ私……っ!!」

 ぐちゃぐちゃと乱暴にチョコレートをかき混ぜる。
 士郎のこととなると、どうも私はおかしい。記念日やイベントごとなんて今まで気にしたことも無かったし、何より『あれから一年』なんて女の子らしい理由で思い出を振り返ることなんて、一生私には無いと思っていたのに。
 士郎といると、自分の知らなかった一面に気付かされる。それは、いかに私が士郎に溺れているのか自覚してしまう瞬間で、正直女の子の自分をどう扱っていいのか自分で自分が判らなくなる。
 でも───


『もしかしたら、遠坂からチョコレートを貰えるの、楽しみにしてるかもしれないじゃない』


 そうなのだ。私の野望は士郎をめちゃくちゃハッピーにしてやることなんだから、士郎が喜びそうなことはどんな些細な事だってしてあげたい。
 それが、根源を同じにしたあの二人を幸せにすることになるんだから。
 考え事をしながらも、チョコレートは無事生クリームと混ざったようだ。後はこれを丸く絞って冷やし、コーティングするだけだ。

「何とか明日には間に合いそうね」

 渡した時、きっと彼は驚いてくれるだろう。顔を真っ赤にして目を丸くして、でも、きっとすごく嬉しそうに笑ってくれるに違いない。
 そう確信して、私は自分の頬か緩むのを感じていた。


†       †       †



 翌朝、はっきり言って寝不足である。
 トリュフは夕べのうちに完成させられたのだが、時間の関係でラッピングは今朝仕上げることになってしまったのだ。お陰でいつもより早起きを余儀なくされてしまった。

「ふわあぁぁ〜ぁ」

 大きな欠伸は全力で噛み殺すが、あまり効果は無かった。これは一日気を抜けない。
 いつもの交差点で士郎を待つ。
 めずらしく士郎が遅れているのは、たぶん桜や藤村先生がチョコレートを渡しているからだろう。律儀なアイツのことだもの、きちんと受け取って大事に食べるんだろうな。

「………?」

 それは、極々自然なことのはずなのに、桜や藤村先生からチョコレートを受け取ってる士郎を想像した瞬間、私の胸のに奇妙な違和感が沸いて出た。
 胸に手を当て、その正体を探る。しかしその違和感は一瞬で、既に私の心は平静を取り戻してしまっていた。

「遠坂ー!」

 遠くから私を呼ぶ声がする。
 その声の正体は確認せずとも判ったが、私は素直に待っていた彼の方へ視線を移した。

「おはよう、遠坂。遅れてすまなかった」
「おはよう。何も走ってこなくても、まだ始業まで余裕あるわよ」
「そうだけどさ、遠坂待たせると後が怖いからな」
「……どういう意味かしら、衛宮くん?」

 私からのチョコレートは鞄の中に忍ばせてある。朝渡してしまうと、士郎が学校で挙動不審になってしまいそうな気がしたので、今日は一緒に帰って衛宮家で渡すことにしよう。
 いつも通り、他愛も無い話を士郎としながら、いつもよりも浮かれた雰囲気の登校風景の中を歩いていった。


 学園の敷地内に一歩足を踏み入れると、そこはありえないほど浮ついていた。
 そうだった。去年は学校なんて行ってる場合じゃなかったし、とんでもないバレンタインデーを過ごしていたからすっかり忘れていたが、例年通りの学園風景に懐かしさを覚える。
 登校している女子生徒のほとんどは、赤やピンクの小さな紙袋を下げており、彼女たちの笑顔が華やいだ空気をより増徴しているようにも思えた。いつどこでどのように渡すのか、彼女たちの頭の中はそんなことでいっぱいに違いない。
 今年は私も、あの女の子と同じように見えるのだろうか。
 それは余りにも恥ずかしい想像だったので、私の頬は思わず赤面してしまう。隣の士郎に気付かれてないか不安で、彼の横顔をチラリと確かめた。

「…………」

 この浮ついた空気に気付いているのかいないのか、いつもと変わらない表情のまま、士郎は真っ直ぐ前を見つめている。

「どうした?」
「な、なんでもないわっ」

 少し見上げるようになった横顔に一瞬目を奪われそうになるが、私の視線に気付いた士郎に阻まれてしまった。
 校舎に入ると、いつもより遅れて到着した所為か、いつもより生徒の数が多いように感じる。「おはよう」と顔見知りの生徒たちと挨拶を交わし、脱いだ靴を靴箱に入れようとして───

「あ」
「あ」

 私も、恐らくは士郎本人すらも、全く予想していなかったモノがそこにあった。

「…………」
「…………」

 二人して絶句する。
 士郎の靴箱の中にちょこんと鎮座する可愛らしい箱。士郎の掌に収まってしまいそうなその箱に、綺麗に結ばれたリボン。そのリボンにくっつけられた、小さなメッセージカード。

「これって……俺に、だよな?」

 士郎がメッセージカードをめくると、そこには確かに「衛宮士郎様」と書かれていた。

「へ、へぇ〜。衛宮くんてば、意外ともてるんじゃない」

 バレンタインデーというこの日に、こんな古典的且つ女の子らしいことをする理由は一つしか思い当たらない。
 思わず声が裏返りそうになる。えぇい!このくらいで動揺してどうする私!!

「いや、そういうわけじゃ無さそうだぞ。『いつもありがとうございます。美術部一同』って書いてあるから、生徒会に頼まれてやった修理のお礼とかみたいだ」
「本人に直接渡さず靴箱に入れるなんて、可愛いわね」
「俺たち3年は、いつ登校してくるかわからないからな」
「だからこそ本人に渡さないと、賞味期限切れるまで靴箱にいることになるじゃない」
「遠坂、何が気に入らないんだ?」
「!」

 士郎に言われ、自分の口調に棘があったことに気付く。
 今日の私はやっぱりおかしい。昨日まではあんな幸せな気分で今日の用意をしていたのに、なぜこんなことで気持ちを掻き乱されているのか……

「べ、別に何も気に入らないことなんてないわよ」

 自分の靴箱へローファーを入れ、上履きに履き替える。教室へ足を向けつつ軽く振り返り、こんな自分を士郎に気付かれないよう、いつも通りの悪態を吐いた。

「よかったじゃない衛宮くん。その調子なら、今年はいっぱい貰えるかもしれないわよ?」

 予想通り、バレンタインデーなんて行事に慣れていないのだろう。真っ赤になった彼の顔を確認してクスリと笑うと、私の心の波風はまた嘘のように穏やかになってしまった。

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