Fu-Ko-Q Present

arataxia〜風の紅き丘の上〜

private 2.14-03

 部屋へ戻り、ドアを閉めると同時に私はヘタリと床に座り込んでしまった。

「なんなのよ。もう……」

 苛立ちは自分自身へ向かっている。
 この気持ちの正体は、もう自分で判っていた。
 士郎の笑顔が見たかった。そして士郎を笑わせるのは、私でないと意味が無いのだと思い込んでいた。
 綾子に言われ、バレンタインデーでそれが出来ると思った。

 でもそれは────遠坂凛でなくても良かったんじゃないか。

 暗い部屋の中、机の上で寂しそうに佇む箱の上、金色のリボンがキラキラと光っている。
 私は引き寄せられるように机に座り、今朝ラッピングしたばかりの箱をつんつんと突いた。
 靴箱の中にあった小箱。
 昼休みの一年生。
 そして、桜の隣で笑っていた士郎。

「嬉しそうにしちゃってさ……」

 おかしいな。本来、士郎が他の人と関わり合いを持つことは、私にとって喜ばしいことのはずだ。士郎がそこから自分の価値を見出して、もっともっと自分を大切にしてくれたらそれでいい。
 でも、そしたら私は───

「今日は一周年なんだからねー」

 暗い部屋に意味の無い独り言だけがこだまする。
 なんだかこんなの、私らしくない……!
 私は突いていた小箱のラッピングを自ら空け、夕べ完成したばかりのトリュフを摘まむ。

「最初から“らしく”なかったのよね、こんなの」

 そのまま一思いにパクリと食べてしまおうと口をあけたところだった。

 ────コンコン

「!」
「遠坂、入るぞ」

 ────ガチャ

「電気も点けないでどうしたんだ」
「士郎には関係ないでしょ。それより、返事を待たずにドア開けないでよね」
「む。それは、スマン……」

 突然明るくなった部屋に軽く目を眩ませながら、入り口の士郎へと向き合う。
 普段こんな風に、返事を待たずにドアを開けることなんてないのに、何を慌てていたんだか。

「桜は?」
「今帰った。また明日来るって言ってたぞ」
「そう…。あのケーキ、美味しかった?」
「え? あ、あぁ。すごく美味しかったぞ。冷蔵庫に残ってるから、明日遠坂も食べれば」
「ちょっと待って。それ、本気で言ってるの?」
「?」

 目の前で、私の言ってる意味が良く判らないといった士郎の顔を見て、頭が沸騰しそうになる。

「あれは士郎がもらったものでしょ? バレンタインデーがどんな意味を持つイベントか知らないなんて、いくら士郎にだって言わせないわよ!」
「さっきから何怒ってるんだ、遠坂。桜のあれは義理だし、それに遠坂も一緒に食べようって言ってたじゃないか」
「そんなの私に気を使ったに決まってるじゃない! あんな手の込んだ手作りケーキ、本命以外の誰に上げようと思うっていうのよ!?」
「そんなわけあるか。桜は妹みたいなもんだし、俺には遠坂がいるって桜も知ってるじゃないか」
「……っ!」

 この鈍感。この期に及んでそんなこと言うなんて……!
 ギリっと奥歯が鳴った。桜の遠慮がちな笑顔より、この男の頭の中の方がよっぽど腹立たしかった。

「その……だから、もしかしたら今日は、遠坂からチョコ貰えるんじゃないかって勝手に期待してたんだけど」
「!」

 私から視線を逸らし、照れくさそうに頬を指で引っ掻きながら遠慮がちに言うその顔は、私が一週間前から描いていた笑顔そのままで。

「男の方から催促するなんておかしいとは思ったんだけど、俺も一応彼氏だし、少しくらいは期待してもいいのかなって思ってさ」

 言い難そうに言葉を区切りながら、でも気体に満ちたその声色に、私は自分の怒りの正体を突き付けられる。
 士郎は綾子が言う通り、私からのチョコレートを純粋に待っていてくれたのに。

「それともやっぱり遠坂は、こういうイベントごとは嫌いなのか?」
「……じゃぁ、なんで他の子のチョコも受け取ってたのよ」
「桜のことか? だから桜のは義理だって」
「じゃぁ昼休みの女の子は!?」
「遠坂、見てたのか……」

 どろどろと黒い感情が心の中を満たす。
 何が“士郎を幸せにする”よ。チョコレートを渡して幸せになりたかったのは、他でもない、私自身じゃないの……っ!!

「嬉しそうに受け取っておいて、私からのチョコも欲しいなんて。衛宮くんは随分勝手なのね」
「あの子はそんなんじゃないぞ」
「朝も靴箱に入ってたし、他にもたくさんもらったんでしょ? だったら私のチョコレートなんて必要ないじゃない」

 指で摘まんだまま、少し体温で溶け出したトリュフを自分の口へ持って行く。
 こうなったら、全部自分で食べてやるんだから……!

「待った!」
「!」

 士郎に手首を掴まれ、チョコレートは口に入る前に止められてしまった。

「何するのよ」
「それ、俺の自惚れじゃ無ければ、遠坂が俺のために作ってくれたチョコだよな」
「………」

 軽く手を払おうと抵抗しているのだが、私の手はピクリとも動かなかった。
 掴まれた手首が熱い。こんな時、士郎が男なんだなって思い知らされる。
 目の前で見つめられ、沈黙に耐え切れなくなった私は士郎から目を逸らすことしか出来なかった。

「否定しないってことは、俺のだって思っていいんだよな」
「え?」

 ────ぱく。

 私が持っていたトリュフを、士郎はそのまま食べてしまった。

「ああぁぁぁぁーーーーーーーっ!! 勝手に食べないでよ!!」
「なんでさ」
「誰がアンタに上げるって言ったのよ!」
「でもこれ、俺にだろ?」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
「うん。すごく美味い」
「!」

 私の手からトリュフを奪い、それだけでは飽き足らないのか、士郎は私の手に付いたチョコレートまで綺麗に舐め取り始めた。

「ちょ……やめなさいよっ」
「俺、遠坂がこうしてチョコ用意してくれてたことが、本当に嬉しいんだ。だから、このチョコレートは全部食べたい」
「だからって、こんな……んッ!」

 不覚にも、士郎の舌の感触に体が反応する。

「遠坂、感じてるのか?」
「ち、違うわよ……ぅン!!」

 自分の体が恨めしい。
 こんな、厭らしい部分でもないのに、いちいち士郎の体温に反応してしまうなんて。

 ────ちゅ、くちゅ、れろッ

「士郎の、舐め方が……厭らしい、からっ」
「遠坂が感じやすいんだろ」
「ちが…違うわよぉ」

 握られた手首に力が入る。
 士郎に引き寄せられるまま、私は彼の唇を受け入れていた。

「んっ……ふ、ぅ」

 チョコレート味の舌が唇をこじ開け、侵入して来る。
 その舌が私の指を舐めていたのと同じ動きで私の舌を舐めとると、ひくりと自分の体が硬直するのが判った。
 士郎の熱が、唾液と一緒に流れ込んでくる。彼の熱に同調するように、私の怒りが少しずつ溶かされていくのを頭の片隅で感じていた。
 でも、このまま士郎を受け入れたりしたら───いけない。

「ん、はぁ…っ。しろ、う。ダメ……」

 呼吸をするために離した唇の隙間、何とか士郎に拒絶の言葉を伝える。
 小さな体の抵抗は押さえつけられても、私がハッキリと拒絶の意思を伝えた時、士郎は絶対に無理強いして来ないと良く知っていたから。

「なんでさ」
「今日の私は、士郎にこんな風に触れてもらえる資格なんて無いの」
「そんなことない。俺はいつだって、遠坂とこうしたいと思ってるぞ」
「士郎は判ってないのよ。私が、今日一日どんな気持ちで過ごしてたのか……」
「?」
「だから、今日はごめんなさい」

 これが私の精一杯の気持ち。
 今日はこれ以上言葉に出来ないから、このまま士郎が部屋から出て行ってくれるようにするしかない。

「ちゃんと言ってくれなきゃ、俺判らないぞ」
「判らなくていいの。……明日になったら、ちゃんと話すから」
「そんなの聞けるわけ無いだろ。今日は、特別な日なんだから」
「─────」

 覚えていてくれた。
 まさか、あの士郎が覚えていてくれるなんて思ってなかった。
 ツン、と鼻の奥が痛い。不覚にも、たったそれだけのことで感動してしまった。

「遠坂」

 優しい声で促される。
 そんな声されたら、これ以上悪あがきできなくなるじゃないの。
 私は、まだ自分でもまとめ切れていない気持を伝えようと口を開いた。

「嫌だったの」
「何がさ?」
「……士郎が、他の女の子からチョコレート貰ってるの」
「─────」

 士郎が絶句する。
 きっと、私の狭い心に呆れたに違いない。

「チョコレート貰って、恥ずかしそうに受け取ってたけど、士郎のそんな顔、私以外に見せて欲しくなかったの───」
「遠坂……」
「!」

 ぎゅっと士郎の腕の中に包まれる。
 抱きしめられた事が意外で、しばらくその胸に自分を預けられずにいると、士郎はぐっと腕に力を込めて更に強く私を抱きしめた。

「しろ、う?」
「ごめん遠坂。すごい嬉しい……」
「は?」
「そんな風に俺のこと思ってくれてなんて…。俺ばっかりが、遠坂のこと好きなんだと思ってたから」
「……ばかね。そんなわけないじゃない」

 ここでようやく、私は自分の腕を士郎の背中に回した。
 広くて硬い感触が心地よくて、いつもより強く力を込める。

「私が好きでもない相手に、ここまで付き合うほどお人よしに見える?」
「ははっ。確かにそうだな」
「そんなあっさり認められてもムカつくけど」

 士郎の体温が心地いい。
 人肌って気持ちいいなとは思ってたけど、こんな風に醜い心まで溶かしてくれるものだとは思わなかった。

「桜のはもう食べちゃったけど、学校でもらった分は明日全部返してくるよ」
「な…! そんなことしたらもっと怒るわよ!!」
「なんでさ」
「士郎がもらったチョコレート全部とは言わないけど、士郎にあれを渡すのに、ものすごく勇気を振り絞った子がいるはずよ! ……私には、判るもの」

 恋人の私でさえ、どうしたらいいか判らなかったくらいだ。
 私という存在がいながらも、卒業前の最後のチャンスに勇気を振り絞ったのだろう。
 その気持ちを踏み躙るようなこと、士郎にはさせたくなかった。

「そっか。でも、ちゃんと俺には遠坂がいるって事伝えてあるからな」
「当たり前でしょ! 士郎は、私のなんだから」
「よかった。俺、遠坂に愛想尽かされたのかと思った」
「どうして?」
「だって、今日はチョコ渡してくれる気配も無かったし、昼休みは黙ってすっぽかされるし、仕舞いには今日がどんな日だったかも忘れたかのように勝手に怒ってるしさ」
「士郎が今日のこと覚えてたなんて、意外だったわ」
「なんでさ」
「だって士郎ってば、記念日とかそういう事ってどうでも良さそうに見えるもの」
「そうかもしれない。けど今日は、それだけじゃないからな───」

 その言葉にハッとする。
 士郎も、アイツを忘れてなんていないんだ────まぁ、未来の自分なんて、私以上に忘れられないのかもしれないけど。

「そうね」
「あぁ。一年……か」

 訊かなくても判る。お互いが誰を想い、何を考えているのかが。
 士郎と初めて触れ合ったことだけじゃなくて、アインツベルン城でのこと、柳洞寺での決戦、セイバーのこと、そして、アーチャーのこと……全部ひっくるめて、私たちには特別な時期。
 でも、士郎の言う“一年”の意味が、私と思っていた一年と少しだけ違うような気がして、ほんのちょっと悔しくなった。

「じゃぁ、チョコレートなんて浮ついたものはいらないわね」
「な……! それとこれとは別だろ!?」
「衛宮くんは、そんなに私からのチョコが欲しい?」
「あ、あぁ!」

 士郎の焦った顔が可笑しい。
 私のチョコレートをもらおうと必死になってる姿が愛おしい。
 なんだかもう、それだけで十分だと思えてしまった。
 私は彼の腕の中から抜け出すと、既に開けてしまった箱を士郎に手渡す。

「仕方ないわね。今回は特別よ」
「……なんか釈然としないが、有難く貰っておく」
「包みは開けちゃったけど、中身はちゃんと手作りだから」
「本当か!? よく出来てるから、市販のかと思った」
「桜のと違って、夕べ急いで作ったからあまり手は込んでないんだけど」
「何言ってるんだ。遠坂から貰えるチョコ以上のチョコなんて無いぞ」
「───っ!」

 またこの男は、臆面も無くそういうことを言う……。
 頭痛いとばかりに眉間に手を置いていると、士郎は更なる追い討ちを掛けてくる。

「その……俺、今はまだ全然頼りないけど、遠坂に幸せにしてもらう分、俺も遠坂のこと幸せに出来るように頑張るから」
「!」
「俺はこんなだから鈍感だし、遠坂が笑ってないとどうしたらいいか判らないんだ。だから、遠坂も思ってることもっと言って欲しい」
「士郎……」
「遠坂が笑ってくれてることが、俺の幸せだから」

 最初、プロポーズの言葉かと思ってしまうほどストレート過ぎる彼の言葉は、私の心の中にじんわりと染み込んでいった。
 そうか。私も一緒に幸せにならなくちゃ、士郎を幸せにすることなんて一生掛かっても無理なのよね。
 士郎に自分を勘定に入れてないなんて言っておきながら、今度は私が同じ事をしてたなんて………とんだ笑いものね。

「ほら、また自分のこと二の次にしてる」
「うっ。そう言われてみれば……」
「まったく。本当に私がいないとダメなんだから」

 気が付けば日付は変わってしまっていたけれど、私はこの日、やっと心から笑うことが出来た。
 一番大切なことはいつもポカしてしまう私だけど、士郎のことは大丈夫。
 士郎がいれば、今度こそ一番大事なことを間違えずに歩いていける。

「士郎」

 目の前で、立ったまま私のトリュフを食べている士郎に抱きつく。
 あれだけ緊張していたのに、今は自然にその言葉が口をついた。

「……大好き……」
「!!!」

 抱きついた士郎の体が硬直する。
 真っ赤になった士郎の顔を見上げて、えへへ、と小さく舌を出した。
 一年前は必要に迫られた行為だったけど、今日は違う。
 そういうこと抜きで触れ合う心と体は、士郎と私をただの男と女にしてくれる行為で───

 今日は朝まで溶け合って眠ろう。
 士郎が部屋に戻りたがったって、絶対に離してやらないんだから。
 意外と独占欲が強い自分にちょっと驚いたけど、これからも私の知らない私を見つけさせてね。




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